199X年12月
防止策哨戒
員数1(NT隊員)
5月1日の侵入決行後、Y隊長率いる探索部隊は解散。隊員たちは、それぞれの道を歩みはじめた。
Y隊長は、新妻とともに、秋を待たず渡米。現在も東海岸で知的冒険の旅を継続している。
A隊員は、都内某所の研究所に籍を移し、新たな探究をはじめようとしている。
NY隊員は、いくばくかの紆余曲折を経て、湘南方面の某学術機関に助手として就任。新たな研究分野に挑戦している。
そして、現在も同じ機関に籍を置いているのは、私(NT隊員)だけとなった。
作戦から7ヶ月を経た12月某日、予研が、対侵入者防御を強化したと聞き及び、久々に哨戒行動に及んだ。そこには、慌てふためいてパンドラの匣に蓋をしたかのごとき、急場凌ぎの強化工事の結果が横たわっていた。
敷地を巡ると、環境保護団体が狂躁的に貼りつけまくったビラが綺麗に剥がされ、代わりに、住都公団の名の入った「立入禁止」のプレートが、これでもかとばかりにあらゆる所にぶら下がっている。
守衛を置き、従来から防御の厚かった正門へと進む。鉄柵の門の上方には、以前にも増して高い金網が張られていた。ということは、ここを乗り越えて侵入した賊がいたということか。それを見逃していたとすれば、ここを守っていた守衛の目は、節穴といって良かろう。
内側を眺めやると、外郭の金網を増やそうとも、予研旧庁舎の廃墟は、何等変わることなくそこにあった。
次に、何者かが金網を破っていた北壁へと回り込む。まず目を引くのは、正門同様に増設された金網である。塀の上に張り巡らされた金網が、不格好に一段高くなっている。近寄ってみると、急場凌ぎに金網を継ぎ足しているのがよくわかる。
綺麗に金網が破られていたポイントに向かう。破られた穴は有刺鉄線で無様に塞がれ、さらに鉄板で裏打ちされていた。この慌てぶり、どこか「AKIRA」を彷彿する。
なるほど、容易な侵入ポイントに対しては、突貫工事ながら対策が為されている。我々が侵入に用いた庭園美術館の飛び地通用門も、しっかりと施錠されていた。
一時期、近所のN◯VAの外国人講師たちの間で、夜中に予研に忍び込むゲームが流行していたとも聞くが、これらの対策は果たして奏功しているのだろうか。
いずれまた、検証せねばなるまい。 |