199X年4月30日1400時
偵察部隊出撃
員数2(NT隊員、NY隊員)
目黒通りの上り車線と首都高速目黒ランプに挟まれるように、予研旧庁舎跡地は存在する。高い壁の向こうには樹木が生い茂り、一見、首都高速の反対側に広がる旧朝香宮邸(庭園美術館、都迎賓館)の森の延長のようにも感じられる。
細いアプローチを20メートルも上ると、正門である。がっちりと閉ざされ、鉄柵の上には有刺鉄線が張られている。しかも、門内の守衛所には2人の警備員がいる。閉鎖後6年がたとうとうのに、まだ、人をおいていたのだ。
正門の突破は難しい。他に侵入ポイントがないか探る。正門に向かって右手は、白金幼稚園になっている。ここを経由してはホントに不法侵入になってしまうので避けることにする。高い壁に囲まれた雑木林のような区画を回り込むようにして首都高沿いへ。コンクリートの壁が行く手を阻む。その壁に上にはさらに新しめの柵が設けられている。明らかに侵入防止を目的に設置されたものだ。
と、その柵に侵入の痕跡を発見。柵の金網の一部がきれいに切り取られているのだ。人ひとりがくぐり抜けられる大きさだ。中をのぞき込むと、予研の敷地はかなり低くなっており、内側の段差は高い。何とか侵入できても、ここから脱出するのは困難が予想される。視線を廃墟に移すと、目の前の窓ガラスがきれいに破られている。かつてここから侵入した「賊」は、あの窓から庁舎内に侵入したのだろうか。窓からは消防ホースがあたかも縄ばしごのように垂れ下がっている。ともかく、過去に侵入があったことは間違いない。
より容易な侵入ポイントを求めて、敷地の周囲を巡るが北面は日本映画新社目黒スタジオ、西面は光電製作所、ホーチキの建物に接しており、公道との接点はない。が、マンション「クレール目黒」の裏手、ゴミ出し場あたりに、比較的容易な侵入ポイントを発見する。やはり、公道に接していない部分はガードが甘い。このあたりの壁にはビラがたくさん貼られている。どれも比較的新しく、マンション建設反対、予研跡地を防災公園に、土壌検査して情報公開を、などと日本語と英語で書かれている。ここが使えるか?
目黒通りにでてほどなく、周囲を一周したことになる。偵察終了。帰途、首都高沿いの侵入ポイントに別の二人組が自転車を止めて敷地内を覗いている。侵入は頻繁に起こっているのか? しかし、彼らもこちらの視線に気づいたのか、すぐに去っていった。
NY隊員の報告を訊き、Y隊長は、5月1日午前0時出撃を決定した。
199X年5月1日0000時
侵入
員数4(Y隊長、A隊員、NT隊員、NY隊員)
部隊は午前0時すぎに本部を出撃。装備は、サーチライト3基、デジタルビデオカメラ(ビクター製)、デジタルカメラ(カシオ製)、フィルム付レンズ(フジフイルム製)。「萬馬軒」でラーメンを喰いながら作戦を練る。
午前1時過ぎ、目的地に到達。「クレール目黒」付近の侵入ポイントに向かうが、「クレール目黒」の裏門の鉄扉が閉ざされており、断念。偵察時とは逆方向に敷地を周回するが、良好なポイントは見いだせず、首都高沿いのポイントに達する。ここは深夜でも比較的交通量が多く、やはりこのままでの侵入は厳しい。しかも、侵入後の敷地に面して、白金幼稚園の建物があり、当直室らしい一室にはいまだ明かりが灯っている。難しい。とりあえず守衛所の様子を確かめようということになる。
首都高から目黒通りに左折する角の部分が所轄不明の雑木林になっており、壁で囲われている。ここに、扉が設けられている。もしやと思い、ノブを回すと、開いた。
侵入する。
予研の敷地なのだろうか? それにしては他の部分に比べてガードが甘い。内部は手入れなどまったくなされていない、鬱蒼とした雑木林で、頭上を高い樹木の葉が覆って首都高速の光を遮り、眼前を灌木が、足下を蓮が行く手を阻む。獣道のような道がかたちばかりつづくのを頼りに前進。やがて、百葉箱を発見した。やはり、予研の敷地内なのか。獣道も百葉箱で途切れ、そこからは黒々と立ちふさがる木々をかき分けての前進となる。工事用のコーンがあり、かつて人の行き来があったことが確認できる。この敷地は、扉の部分からずっと下りになっており、緩やかな谷になっている。幼稚園の建物は、その谷の上にプラットフォームを設けて建てたものであることがわかる。首都高と敷地を隔てる高い壁に沿ってさらに前進すると、突き当たりは鋭角の三角コーナーのようになっている。一辺は首都高と境する壁であり、一辺は予研敷地とを境する壁だ。こちらが低くなっているので、途中に足場はあるものの石壁と金網を合わせて約5メートルはある。しかし、もはやここを越えるほかない。壁の向こうを行き過ぎる自動車の走行音をBGMに4人の隊員は次々に登攀、ついに、旧国立予防衛生研究所上大崎庁舎敷地内への侵入を果たした。侵入地点は、結果として首都高沿いのポイントの近傍となった。件の破られた窓を見てみるが、ここから入るのは厳しい。敷地内を奥へと進むことにする。
本館の裏手の変電施設跡を抜け、本館の両ウイングを隔てるピロティに到達。ここから、守衛所の明かりが見える。すでに暗順応した目には異様に明るい。Y隊長が強行偵察を敢行。夜勤の警備員は1名で、現在、守衛所奥のベッドで仮眠していることを確認。我々は、本館裏をさらに捜索、侵入可能な扉を発見し、館内への侵入に成功した。
館内は深い闇に沈んでいる。床はタイルが砕けてざらざらした感触である。外に明かりが漏れないようにこまめにライトを点消灯しつつ前進。1階には衛生昆虫部があり、「殺虫剤室」など怪しい名称の部屋が並ぶ。ロープが渡され、進入禁止をうたったテープが貼られていた痕跡があるが、すでに判読不能である。かまわず前進する。配電盤を見つけたが、当然、電気は通っていない。各室とも、ほとんど荷物は残っていない。残された備品には「殘」と記された貼紙がある。平成4年に引き払われたのに、なぜ旧字体なのだ? エレベーターを発見。なんと、階数表示が「針」である。すばらしい。
階段を発見。2階に昇る。両ウイングへの入り口に防火扉があるが、木製。意味はあるのか? ポピュラーなデザインの実験室から、培養用の振盪室、室内設置型の恒温室(池田理器製)、湿式の解剖室など、昔ながらの設備が散見される。暖房機器、ガス管の配置等のデザインも古い。3階、4階と昇っていく。時折、比較的新しく建て増しされた設備がある。3階奥の「結核室」付近には、「バイオハザード」の反射シールも目新しい実験室があった。しかし、5年放置されただけで、建物とはこうもボロボロになってしまうものなのか? 床はひび割れ、壁は剥げ落ち、天井の塗装も剥がれて垂れ下がり、蝙蝠と見まごうばかりである。あちこちに蔦も侵入してきている。
4階から、両ウイングをつなぐバルコニーにでる。背後に恵比寿ガーデンプレイスのビル群がそびえ、なかなかにサイバーな雰囲気である。山手線側のこれまで探索してきたウイングが4階建てなのに対し、首都高側のウイングには5階があることが見て取れる。そこで、バルコニーを経由して反対のウイングに移動すると、いきなりP3施設跡。遺伝子組み換え実験の施設には危険度に応じてP1(比較的安全)からP4(非常に危険)にランク分けがなされている。通常設置が許可されるのはP2施設までで、P3施設は国内に数カ所しかない。予研は感染症研究の中枢機関であるため、P3施設が設置されていたが、それも今は廃墟である。実験室と廊下の間に前室が置かれ、前室から実験室に通じる扉には、室内と室外のものが接触しないために設けられた機器・材料搬入用のパスボックスが設けられており、ステンレスが5年前と変わらぬ輝きを保っている。間違いなく、P3の施設だ。こちらのウイングは首都高に近くなるが、ここからの夜景が絶景であることが判明。六本木方面へと弧を描いていく首都高と、その向こう側にそそり立つガーデンプレイスのビル群、側方へ広がる庭園美術館と自然教育園の広大な森の闇がすばらしい構図を与えている。しばし夜景に見とれ、5階に昇る。
5階はやや造りが新しく、増築されたものと思われた。それでも築20年はくだらないだろうが。各室の様相は特に変わらず、打ち捨てられ、朽ち果てている。廊下を奥へと前進すると、屋上へ通じるらしい螺旋階段を発見。ついに屋上に到達する。
屋上からの夜景は、呆然とするばかりの美しさだった。血液を駆けめぐるアドレナリンが、昂揚感をいやましてくれる。午前3時。しばし、首都圏の夜を眺めやる。活動を開始した鴉の巨大な群が自然教育園を飛び立って、都内各地のゴミ集積場へと飛び去っていく。いくつかの群は、我々の至近距離を怖れもせずかすめていった。間違いなく、彼らの時間である。屋上には、螺旋階段の開口するエレベーターの制御室などの入った小屋が建ち、その上に給水塔が配されている。そこが、予研の頂上である。しばしの休息を挟みY隊長が頂上にアタックを開始した。小屋の屋根に昇る鉄の梯子は、錆びつき、一部ボルトが失われているが、なんとか我々の体重を支えてくれた。そして、Y隊長は給水塔の梯子をも昇りきり、午前3時半、予研を踏んだ。
往路とは異なる経路で電源室、タービン室、比較的ものの残された実験室などを探索しつつ、下っていく。しかし、件の破られ、消防用ホースを垂れ下げられた窓を調査しに行く途中、首都高沿いを歩く中学生の集団に、サーチライトの光を目撃される。確実に、見られた。身を隠し、階上へと退避を試みるが、Y隊長は、すぐに退避を断念、潔く中坊たちに、にこやかに手を振って見せた。中坊たちは、無謀にも、柵を乗り越えて侵入を試みはじめた。が、柵の内側の高さを知って逡巡している。いずれにしろ、彼らは守衛の存在を知らない。彼らが侵入し、騒ぎ出せば面倒なことになる。我々は彼らを囮に仕立てて、反対方向から脱出することにし、山手線側のウイングへと移動した。しかし、その途中、地下への階段を発見、脱出は撤回された。
地下への階段は深い。が、期待に反して、地下も地上階とほぼ同様の構造である。敷地に段差があるため、地階の一部は地上に面している。突き当たりが、かなり広いRI(放射性同位元素)実験室になっている。洗面台に液体の入ったバイアルが放置されている。サーチライトで照らすと、紫の励起光が確認された。危ない。放置された試薬だ。室内に入ってみると実験台が並んでいるが、特に放置試薬があるわけではない。しかし、丹念に見て回ると、ビーカーの中に放置されたRIのアンプルを発見。劣化しているだろうが、この部屋は危険である。ここを最後に、1階から脱出した。本館の裏手には、全面を蔦で覆い尽くされ、窓もすべて破れ尽くした異様な建物がある。ここに入ってみる。廊下が狭く、本館よりも旧い建物であることが伺える。廊下にまで蔦が這い回り、すでに枯れている。いくつかの部屋を見て回るが、天井にも床にも蔦が侵入している。こちらの方が放置年数が長いようだ。ただし、造りそのものは本館と大差ない。先ほどの中坊が警備員を刺激するような事態に陥るとまずいので、このあたりで撤退することにする。
撤退ルートは、侵入ルートを逆行することにした。塀を乗り越え、雑木林をくぐり、目黒通りにまでたどり着いたところで、思わず叫んだ。ビールでも飲みたいところだが、付近に酒を扱うコンビニもないので、とりあえずジュースで乾杯。午前4時すぎ、夜間警邏中の警察官を横目に、帰途に就いた。 |